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2012年3月

2012年3月16日 (金)

東日本大震災から1年

 2011年3月11日

あの 東日本大震災から一年が過ぎました。

思えば 健康寺子屋の四谷クラスの開催の後、先生方のミーティングをするつもりで集まっているその時でした。

グラグラ・・・ 最初はいつもぐらいの大きさだと思っていましたが

ドンドン大きくなっていく・・・

その内 事務局から見える 笹寺の観音様が大きく揺れ始め、私たちのデスクの本が落ち・・・

声も出ない人。 必死に本棚を抑える人・・・ 本当に長い時間でした。

でも 揺れが静まると 粛々と荷物を片づける我々・・・

同日の夜に入っていた予定も 変えるつもりもなく、地震はすっかり過ぎ去ったつもりだったのです。

 それが 始まりであったことを知るには 少し時間が必要でした。

「地下鉄が止まっているらしい」

「新宿通りに大勢の人と車の波が押し寄せてきている」

「四谷三丁目からわずか100メートルを車で進むのに30分を要した」

 正に”恐怖”が押し寄せてくる。 子供の頃に見た 怖い映画を思い出すような・・・・

少しずつ悪い状況に向かっていることに気づくと、その恐ろしさと不安は増す一方でした。

その日は 多くの帰宅難民が発生しましたが、その例に漏れず

私たち事務局も 多くの帰宅難民が生まれたのです。

その後の悲惨なニュースは 心が凍りつきそうな、つらいものでした。

   ( 間 )

東京でも そんな恐怖です。

被災地の悲劇や残酷さを映像で見るたびに震え上がり、 「何かできないか?」

という気持ちが日増しに募り、 何ができるか?考える間も無く

「東日本大震災健康支援プロジェクト”こころとからだの健やかのために”」の活動を立ち上げることになりました。

ボランティア活動に精通しているわけでもなく、全てが初めての試み。

支援活動を行う人たちへの説明会があると言う話を聞きつけると、駆けつけ。

慣れないことに戸惑いながらも 先ずは全国高校体育連盟の各県の専門委員長にお見舞い電話をかけて現地の状況を収集。

それでも 活動につながるまでには 試行錯誤の毎日でした。

何ができるかは行ってから考えよう!

三屋裕子の思いに賛同した多くの人たちと共に、2011年3月28日

私たちの活動がスタートしたのです。

それから一年。 今では東北道を走ることが まるで故郷に帰るように当たり前のこととなり

福島、宮城、岩手が とっても近くに感じられるようになりました。

その道のりも 春、夏、秋、冬・・・と彩りを変えていきましたが

ただただ夢中で走ったその時から 全ての季節が過ぎていったことが夢のようでもあります。

まだまだ 一年を過ぎた被災地の状況は深刻なものです。

被災地の人々の苦労も不安も、復興と言う文字には程遠い現実。

私たちにできることは限りがありますが、できることをつづけていきたいと思っています。

この一年で出会った多くの方々の笑顔を胸に、これからも「今できることを」積み重ねて参ります。

 一年間の活動を見守って下さった方々、 私たちの活動に参加して下さった方々

本当にありがとうございました!!! これからも 宜しくお願い致します。

              東日本大震災健康支援プロジェクト”こころとからだの健やかのために”事務局

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3月10日~12日まで仙台、気仙沼 含め 被災地の慰霊にお伺い致しました。 犠牲となった方々のご遺族やご近親者のお気持ちを察し、詳細のご報告とお写真は控えさせていただきます。 ご了承ください。

2012年3月 9日 (金)

2月25-26日岩手県大槌町・宮城県気仙沼市活動報告

2012年2月24日(金)~26日(日)

岩手県大槌町と宮城県気仙沼市へ

メンバー:三屋裕子、井上謙、泉水智、蔭山弘道、大塚真里子

事務局:塩澤弥生、野中真代

 

24日

今回は岩手県の支援のため 前日入りを計画。花巻に8時ごろ到着して、宿泊。

25日

遠野まごころネットの協力を得て、大槌町にて健康支援2か所と、コチキャラを通して縁をいただいた大槌高校を訪問することに。

何より今回の支援の急所となったのは、この大槌に向かう道のり。

花巻から レンタカー二台に分乗して向かうことに。それぞれがナビで導かれた道のり。 約3時間を走ることになり、笛吹峠を越えることに・・・・

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大槌に向かう途中。まだまだ 余裕の三屋さん。しかし、視界はどんどん・・・

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この道は 現地の人にとってもかなりの難所で、11月以降になると、現地の人は使わない道とのこと・・・

大雪、氷点下以下のためにワイパーが凍結。新雪のわだちにハンドルを取られながら、低いガードレールは雪に埋もれ、車一台が通る程の細い道のり。

大きな危険と背中合わせの中 なんとか大槌に。

 

大槌の最初の訪問先は吉里吉里中学の仮設。

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仮設の談話室が狭いために 中学校の多目的ルームにて開催。

仮設住宅から 参加の皆様にいつもの通りTシャツをプレゼントして

大塚さんのストレッチ。三屋さんとのゲーム性の高い健康支援に大喜びの参加者の皆さんでした。

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最後に皆で輪になって・・・
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折しも 中学校の体育館で男子バレーの大会を開催中だったために

「一言ください」という要望に応えて 三屋さん、井上さん、泉水さんはエールを送る。

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吉里吉里中学を出ると 次は 井上さんと泉水さんが指導をすることになっている大槌高校へ。 あにはからんや、大槌高校への道は雪が深い。 新雪に四苦八苦して、やっとのことで到着。

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大槌高校と宮古工業高校 男子バレー部

 

大槌にて挨拶を済ませて 女性群は次なる仮設へ

ところが 大槌高校を出たところで 新雪にはまり タイヤは空回り。

思いもかけず通りかかった 野球部の先生と選手たちに助けられ なんとか脱出。

そして 次は大槌第七仮設住宅の集会所。

集会所の隣には岩間商店というお店があり、岩間自治会長に導かれて集会所へ。

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集会所では子供たちがゲームに夢中。

お雛様が飾られた集会所を、体操のできる環境に整えていると、

次々に参加者が訪れ、子供たちもゲームの手を止めて、その輪の中に・・

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最初は照れていた子供たちも加わって、いつの間にか 会場は老若男女の憩いの場に。

ストレッチ、三屋プログラム、ボール遊び

子供たちにも 役割が与えられて 多くの笑顔に出会えました。

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同日は大槌から南三陸町への移動が最後の仕事。

気仙沼の宿が取れず気仙沼を通過して南三陸に・・

陸前高田の一本松が・・・

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そして、雪道で苦しんだ一日は更けていきました

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26日

南三陸から再び気仙沼へ

気仙沼の五右衛門が原野球場の仮設住宅は 私たちの行き慣れた新月パーキングエリアの近くに。

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気仙沼復興協会の方に導かれ、(独)産業技術総合研究所の方々の視察もある中、健康支援がスタート。

小さな談話室が、あっという間にストレッチ会場に!

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会場は笑顔が一杯で、元気が一杯で、ストレッチ、三屋プログラム、ボール遊び、脳トレビクスと、全てを網羅した総合プログラムが展開されました。

 

次は運動場の仮設住宅に向かうはずが、復興協会の方から

「テニスコートの仮設にも ちょっと行って頂けますか?自治会長さんが今参加していらして希望していらっしゃるのですが・・」

それなら・・・と 30分の余裕を利用して、一同 テニスコートの仮設へ

ここは 本当に談話のためのテーブルが準備されていて、人が集まるもスペースが無い。

そこで 少ないスペースでもできる ストレッチやトレーニングを速効始動。

指導者の皆様の急な対応ありがとうございました。

 

ラストは、隣接する運動場仮設住宅の皆様への支援。

元気な自治会長さん。(実は元バレーボール部)のリーダーシップのもと、大半が70歳以上で80歳以上の参加者が過去のどこよりも多いメンバーながら、座ったままの方も含めて 多様な世代の方に支援を行いました。

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チーム対抗に一番本気なのは・・・

それは 講師陣???



 

 

「決して無理しないでくださいね  できるかどうかではなくて、楽しんで笑ってもらえば良いので」

そんな三屋さんの言葉通り 子供からご高齢者まで 老若男女性別に関係なく、プログラムを楽しんでこなしていきました。

 

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今回は全ての会場で最後に輪をつくり、「今できることを」のメッセージをしっかり伝えて

「決して皆さんのことを忘れずに 私たちのできる支援活動を続けていきます」

そんな 宣言に笑い 涙ぐみ、「気仙沼はがんばるぞ うぉ~ 」と大声を出して 終了しました

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皆で輪を作り、気仙沼の復興を祈りましょう!

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大槌の皆様 気仙沼の皆様

遠野まごころネットの皆様

気仙沼復興協会の皆様

そして いつもながらの(株)アシックス様

講師の皆様

本当に本当にありがとうございました

私たちは一周年を超えてもこの活動を続けて参ります