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2013年4月

2013年4月25日 (木)

2013年4月14日 高巣瀬山の仮設住宅訪問

桜の季節になりました。

かの有名な三春の桜は観ることができませんでしたが

この地域にはしだれ桜が多いような・・・・・

ソメイヨシノはマダマダギュッと蕾のままの姿で

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葛尾村の仮設住宅は三春には大小合わせて10地区にあります。

今回は高巣瀬山に初訪問。

10軒位の仮設住宅ながら、男女合わせて20名程の参加者が。

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丁寧にお父さんにストレッチの指導をする三屋さん

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お父さんは笑い虫が付いてしまって・・・・

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そして こちらのご婦人方・・・

なぜか?円陣になってのストレッチが可笑しいと

三屋さんが必死にシャッターチャンスを探ります。

「ダメだ~ 撮って!」

(こんなので 如何でしょうか?)

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こちらはご姉妹で・・・

ぴ~~んと手を伸ばした姿が まるで鏡のようです。

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「いやいやいや・・・ フフフフ」

何がそんなに?

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こちらも笑いすぎて 汗が出てきた~~

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初めてのボールトレーニングですが

皆さんとっても良い角度です。

さあ~ 胸筋を鍛えましょう!

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そして タオル体操でも・・・

辛いはずのトレーニングも 可笑しくて・・可笑しくて・・・

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1・2・3・4・・・・・・

上腕をしっかり鍛えて下さい

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腕の次は 脚のトレーニング。

ちゃんと 脚を上げて 歩くことができますか?

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「え~? 私だけ そんなに高くしないで~!」

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「おっ! お父さん やるな~」

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何やら 大塚先生可笑しなものを発見ですか?

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西島先生は黙々とお母さんと・・・

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楽しい活動もあっという間に終了。

皆さんの元気な声に見送られて 東京に向かって出発!

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桜の薄桃色に黄色の花が映えて

すっかり 春らしい優しい景色に変わった三春でした。

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そして 忘れてはならない ”三春の郷”

近くの農家で取れた新鮮野菜に思わず引き込まれ

自動車に沢山の野菜を積んで帰路に着く一行でした。

 みつば、白菜、大根、ホウレンソウ、そして ジャガイモのきたあかり。

どれも これも 最高~~~!でした

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 春いっぱいの 三春

    今回も お疲れさまでした。    おわり

2013年4月24日 (水)

2013年4月13日~ 三春へ(狐田仮設住宅)

ちょっと報告が遅くなりましたが

2013年4月13日から 当プロジェクトは福島への支援に向かいました。

ところは 桜の名所三春町

ほぼ満開と言われている三春の桜・・・・

しかし 名所に向かう道路は長蛇の列。 残念ながら拝むことはできませんでした。

 東京はすっかり桜も散っているこの時期ながら、福島のソメイヨシノはマダマダ蕾。

ようやく 綺麗に咲いた桜を見つけて激写

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車中では必死に桜を撮影しようとする講師の先生が・・・・

う~~ん。 なかなか タイミングが合いません。

カメラマンにお任せあれ!(エッヘン)

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三春町の狐田仮設住宅で、支援活動をスタート

あれれ? 三屋さんから指導を受けて

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何を見て笑っているのでしょう?

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それは・・・

早川先生の おかしな足文字?

全身を使って数字を書きます。

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そして・・・

 こちらも 笑い虫?

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お母さんの優しい笑顔に癒されて・・・

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明るい笑顔に 導かれて・・・・

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こちらは・・・大爆笑

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西島先生も ほっこり

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大塚先生もニンマリ

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そして 歩行のトレーニングでは・・・

会場中が熱気でムンムン

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皆の大好きなボールトレーニング

ひときわ光る この少年

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タオルを使ったキャッチゲームでも 大奮闘

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この笑顔に惚れてしまいます

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そして リレーになったら・・・

なんと 少年チームが大勝利!

大喜びの先生たち

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わ~~~~い

(あまりに大人が喜ぶから・・・僕 照れちゃうな~)

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「よ~~~し。 良くやった~~」

(そんなに 頭触らないでよ~)

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丁度その時 外では 鯉のぼりが張られていました。

やっぱり 今日の主役は彼ですね。

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「さよなら~~」

運転席の三屋さんに向かって いつまでも笑顔で見送ってくれる彼でした・・・・

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また 会いましょう~~~!               つづく

2013年4月 3日 (水)

プロジェクト3年目突入

2013年3月28日、東日本大震災健康支援プロジェクト”こころとからだの健やかのために”は発起3年目を迎えました。  

2011年3月11日、健康寺子屋の四谷クラスを終えて、正に3時からミーティングを開催しようと思っていた時、株式会社サイファは大きな揺れを感じ、

 それから・・・・

 思えば しばらくは非日常の中に在ったような気がします。

 オイルショック並みのトイレットペーパー不足。

 水・ガソリン・・・ 生活の必需品が断たれた日々。

 そんな中、東日本大震災支援全国ネットワークが立ちあがると聞き及び、NPO法人健康寺子屋としてだけでなく、東日本大震災健康支援プロジェクトという別途支援団体を立ち上げて、ボランティアに素人ながら 会議に参加しました。

ボランティア活動は元より、被災地支援のノウハウが全く無い素人集団が、ボランティア活動のプロ集団の始動に 全く付いていくことなどは不可能でした。

見れば そこに参加する多くの人たちは 初ボランティアなどというはずもなく、過去の震災の経験を活かして、積極的に支援活動をスタート。

ノウハウもネットワークも既にある団体に比べて、いかに脆弱であるか?

事務局の代表として 会合に参加をしながら、 緊張で体を震えるような思いすらありました。

(こんなところに居て良いのかしら?)

 (まだ 何もできていないのに・・・)

官庁街のビルの一室で開催された会議であることが、一層重い気持ちにさせました。

 日本の一大事。

 緊急事態において、 何かやらなければ・・・・

 「できる」とか「できない」とか・・・

 ましてや

 「やる」とか「やらない」とか・・・

 そんな事態で無い空気の中に飲まれて、映画でしか見たことのない光景の中で、強い思いを持ち返ったことだけは薄らと覚えています。

 おそらく司令官気取りで、小さな事務所の中で 大声を張り上げていたような気がします。少しでも尻ごみをしそうな人に、檄を飛ばしていたような気がします。

 ”爆走”という言葉がそのままあてはまる状況でした。

 支援活動を始めてからも、「なぜ何事も無かったかのように感じていないのだろう?」と他人を思うこともしばしばありました。

 でも それは逆もあったことと 今だから分かります。一つでも知っている人と知らない人には 自然と開きができるものです。

 私がプロジェクトを代表して 一番先に 災害対策の輪の中に駆け込んだから見た光景。

 全ての人が 1人残らず緊張と起動体制にある時の 何んとも言えない状況。

 それを見たから、プロジェクトの立ち上げに対して、生後間もない子供の安否に我を忘れた母のように突っ走ったのだと察します。

 そして その結果 準備も整わずに、逸る気持ちで三屋さんを中心に 一台の車を走らせたから・・・・

 いつも 自分たちの足で進み、自分たちの目で見て、何かに守られることなく 現地の方々と出会ったからこそ

 私たちは 当たり前に 震災直後からの被災地に沿う気持ちでいることができました。

 知ったから・・・

 見たから・・・・

 出会ったから・・・・

 当たり前でした。

 丸2年を過ぎて、色々なことを思います。肉体的に疲れなかったか?と言えば、それは 全くウソになります。

 三屋さんの全ての休みもさっさとスケジュールを立てて奪ってしまいました。おそらくこの2年間 土日を休むということは無かっただろうと察します。

でも、 2011年3月三屋さんが「こんな映像を見て、何もやらないなんて・・・そんなこと できないでしょう?」と言って プロジェクトは立ちあがりました。

スローガンとして「今できることを」

これは 三屋さんの言葉から発した ひと言。

早速 静岡県掛川の少林寺様ご住職 井上貫道老師に毛筆で書いて頂きました。

「どれでも お好きな字を選んで下さい」

ご老師は 何枚かの書を見せて下さいました。

「今」という文字が 「できることを」を 力強く懐に抱えた書を三屋さんは直ぐに指しました。

「これがいい」

 今 できることを

”今”を大切に、肩に力を入れ過ぎず、 プロジェクトの発足の意に沿っていきたいと思っています。

  これからも ご支援を宜しくお願い致します

 

                      東日本大震災健康支援プロジェクト

                                  事務局  野中真代