message2014.7-12

Konchiha_bar

1226
12月26日(金)

コンチハ!三屋です。

この一年(毎年?)愚にもつかないことを書き綴ってきましたが
早いもので、今年最後のメルマガです。
本当に、お付き合いありがとうございました。

世間はクリスマスで盛り上がっている中
今年は本当に忙しかったことの象徴か、
クリスマスもしっかり仕事が入っていた。
しかし、アメリカの人の一言、
「クリスマスには、ケーキもフライドチキンも食べないよ」
そーなんだ!
仏教徒のクリスマスが、ケーキとチキンなのかぁ~
なんて、妙なことをこの年になって気が付き、
ケーキもチキンも(もともと食べないけど)
仕事で食べられないことに納得したのだった。
そんなクリスマスイブの夜・・・

あるコンビニのレジの前に、
ちょっとヨレヨレ感が出ているベンチコート姿、 
髪の毛はちょいとボサボサ?
足元は、丈が合わないのかロールアップしたジーパンと
あろうことか、ウェッジソールのパンプスと
もっとあろうことか、黒い靴下。
全くのミスマッチなスタイルに、
パンパンに何かが入っている紙袋3つを下げ
「えっと、1円玉で・・・あっ10円が・・・」
と細かいお金でレジ精算している。
その手元は、指なし手袋・・・・
いわゆるホームレスに見える率というものがあるとしたら
70%はクリアか・・・
そしてその値を一気に80%まで引き上げたものが
紙袋からはみ出している衣類・・・
あといくつかのアイテム(そんなもんあるのか?)がそろったら
コンプリート!だ。
そんなことを思いながら、見ていた先に
「お待たせ!」
と振り向いたN中がいた。(;一_一)

今年はサイファにとっては
いろんなことがあった一年でした。
ヨネマネの大手術、PLNの発足、
そしてN中の公私に渡るバタバタと
我々の年齢相応のことがいろいろと
それも立て続けに起こった年でした。
しかし今になって思えば大変だったけれど、
その時は目の前の出来事に
精いっぱい取り組んできたと思える年でもありました。
来年も、後になって大変だったけれどよく頑張ったよね、
と言い合えるよう頑張っていく所存ですので、
どうぞよろしくお願いいたします。
皆様、よいお年を・・・・


三屋裕子


1219_2
12月19日(金)

コンチハ!三屋です。

いよいよ今年も残すところ10日余り。
私はと言えば、
「あと一つ」
「あと一歩」
とゼイゼイ息を切らせながらの年内最終巡業に回る日々。
何がストレスかと言えば、天候と交通状況。
「遅刻しました」
「間に合いませんでした」では済ませられない。

天候の悪い時や、積雪で足元の悪い時にも、
傘を差し、長靴を履いて会場に来てくださる方を見るにつけ
「申し訳ない。本当に、間に合って良かった」と胸をなで下ろす。
だから、極力リスクを回避できるようにと前泊することもあるものの
スケジュールが立て込んでしまうと、それもできない。
この年末の日本中の悪天候は、どれ程多くの人の生活を脅かしているのか?
豪雪・暴風雨の神様が居るなら一日も早くに収まって欲しい・・・(;;)
心から祈って・・・・

さて、今年の異例と言えば、
毎年恒例の周囲を巻き込んだ忘年会をやらないこと・・・
毎日のように顔を合わせている内々のメンバーだけに留めた。
例年はN中が年に2回、年中行事のように騒ぎ出す。
「三屋の誕生日を肴に飲む」とか「年忘れ~~」と
黙っていても怪しい動きをするのに
「今年は無理!身内飲みで勘弁(;´∀`)」と早々に降参。
確かに忙しい一年だった・・
ヨネマネの病気に始まり、
常にマンパワー不足に直面。
そろそろ幹事も世代交代が必要かな?(笑)

皆様にネットから
「今年もお疲れ様でした! 乾杯」

Beer_6
三屋裕子


1212
12月12日(金)

コンチハ!三屋です。

ただ今、某企業の取締役会前の慌ただしい時間。
昨日から、世界各国からのグローバルミーティングに参加し、
そのまま泊まって、今朝9時からの役員会に出る。

というため、今回はこれにてゴメンなさいm(__)m



三屋裕子


1205
12月5日(金)

コンチハ!三屋です。

12月になりましたねぇ~
師走です。
なんだか、ものすごく時間が過ぎるのが早く感じます。
年ですかねぇ~ (-_-)

まだ、福井の実家が商売をしていたころ
12月が来るのが嫌だったなぁ。
実家の商売は製麺業といい、
うどん、そば、ラーメンといった麺を作っていた。
当然、年越しそばというものを作るわけだけど、
福井県人はそばが好き!
一人一個なんていうことは絶対にない、
イヤ、なかった。

20日過ぎるとなんとなく強風圏に入り、
28日くらいには暴風圏に突入、
30日なんて、最大瞬間風速40mくらいで、
つまらないこと言った瞬間ぶっ飛ばされる。
31日の夜8時過ぎくらいにはようやく嵐も過ぎ、
そこには戦い終わったボロボロの人間が、
年越しそばを見るのもイヤだという状態になっている。
そして元旦の朝、洗濯機と掃除機の音が最初に聞こえてくる・・・
これが正しい我が家の年末年始だった。

私は高校から東京に出たけれど、
年末年始だけは数日帰省することができたが
年末帰省して最初に渡されるものが、エプロン。
「お帰り~ ゆっくりしてなさいね」
な~んていう言葉は、どこをどう探しても出てくる気配はない。
オリンピック前の3年間だけ、
年末の手伝いができなかったがあとは必ず帰っていた。
だって、ある時の母親のこの一言
「年末帰って来ないんだったら、後は帰って来なくていい!」

今はもう仕事をしていないので、
なんとなくぼやけた感じの年末を過ごす。
生まれてからずっと流れていたリズムだからなのか、
静かな年末はまだ落ち着かないなぁ。



三屋裕子


1128_2
11月28日(金)

コンチハ!三屋です。

新潟県小千谷市、福井県大野市と福井市、宮城県気仙沼市
四泊五日で駆け抜けた。
しかし、正確には一泊二日が2回で一度東京に戻るという
日本は狭いようで広いと実感するような移動スケジュール。
つまり自宅には、荷物を詰め替えて、
眠るというだけのために戻る。
さすがに、気仙沼からの帰りの電車の中では爆睡。

翌日は、筑波大学の会議と
八王子実践高校時代の恩師との食事会。
先週末、テレビで恩師のドキュメント番組が流れた。
いろんな人に
「あんなに怖いんですか?」
「健気な選手たちで、泣いてしまいました」
など、賛否両論様々な意見をもらった。

私が、録画だったが見て思ったこと・・・
「ずいぶん、優しくなったんだなぁ・・・」
だって・・・・・
昔はもっと、もっと、もっと怖かった・・・(-_-;)
そんなことを奥さまや美雪(狩野美雪)と話をしていた。
先生の奥様も実践の卒業生なので、
そのあたりのことは十分承知しているのだ。

ちょっと耳が遠くなった先生、
補聴器をつけているから聞こえているはずなのに、
淡々と、そして黙々と好物のお寿司を食べている。
それをいいことに、
「卒業したら、先生の方向に足向けて寝てやろうと思ってました」
「車で出かける時、事故らないかなぁって思わなかった?」(by奥さま)
「思いました、思いました」(ちょっとお酒が入って気が大きくなってきた)
「ワハハ・・・そうそう心から願った」(すっかり存在を忘れてる)
ふと先生が顔を上げたので、ビクッとしたら、
「みつやぁ~ 俺、お前には優しかったよなぁ」
「はぁぁぁぁ」(-“-)
人間殺意が芽生える瞬間があることを知った瞬間。

でも、翌日お礼の電話を入れたら
「また会おうよ、な」
やっぱり、愛すべきオヤジなのであった・・・


三屋裕子


1121
11月21日(金)

コンチハ!三屋です。

昨夜は、午前0時に新潟から戻り、
これから午前9時半の飛行機に乗る。
明日は夜戻り、
翌日は早朝の新幹線で一泊で気仙沼に行く予定だ。
先月から、いろいろ仕事で出かけていて忙しいが、
それぞれの場所の秋を感じることができて、
ある意味楽しいともいえる。

先週末、秋田県のにかほ市という所に行ったら
いきなり冬になっていた。
ヒューヒューと海風が強く吹いて、寒かったなぁ~
その前の岡谷も冬だ!と思ったけれど、
もう少し進んだ冬にだった。

で、その翌日はずっとお付き合いしている
『クラブ・ウィルビー』のウォーキング。
場所は国立、東京女子体育大学を拠点に
約10kmほどを自分のペースで歩く。
すっかり冬の景色の翌日は、
まだ銀杏も黄色くなっている木が半分くらいの
秋真っ只中の国立。

そして、昨夜の新潟県小千谷市は
いつ雪が降ってもおかしくないという感じ。

今日はこれから、福井に行ってくる。
福井県の高校生のために、
福井県出身者が授業をするという企画のためと
春の高校バレー福井県予選の解説のためだ。
福井はまだ冬に入り始めた頃だろうか?
明日戻ってきたら、今度はしっかりと寒い気仙沼。
日本は、狭いようで広い・・・
とつくづく感じる今日この頃だ

では、行ってきます!



三屋裕子


1114
11月14日(金)

コンチハ!三屋です。

先週末、長野県の岡谷市という所でバレーの講習会があった。
このところの朝晩の冷え込みもあって、
「きっと寒いから、寒さ対策して行こう」
と、一緒に行くN中とは話をしていた。
だから、いつもはTシャツの下にはタンクトップだったのを、
防寒用の長袖インナーに。
ハーフパンツだったのを、長いトレーニングパンツに。
そして、さすがにまだ11月の始めだし、
そこまですることはないだろうと思ったが
中綿入りのジャケットと
念のために薄手のウィンドブレーカーを持った。

朝7時半、新宿駅に向かう途中でN中と合流。
遠目で確認したN中の姿を見て愕然・・・(+o+)
ロングのダウンコートを着ているではないか・・・(-_-;)
そして、キャスターを引く姿・・・
まるでホーム**のようだ・・・
新宿駅でも一際目立つ、ダウンコート姿とキャスターバッグ
あれに、紙袋を持ったらパーフェクト!

ホームで、合流した八王子実践の後輩、
美雪(狩野美雪)は、パーカーのみ。
いったい、どっちが正解なのか?
しかし二人は能天気に
「8時ちょうどのあずさ、ってテンション上がりますよねぇ」
「そうそう、狩人!でも2号じゃないんだよねぇ~」

そして着いた岡谷は・・・・・すっかり冬だった。
教官室にはストーブが入り、高校生もジャージ姿。
さぞかしN中は自慢げにいるだろうと思ったら、
なぜだか着ていない。
気分で行動を決めるN中を分析しても時間の無駄なので、
理由は考えない。

「岡谷は標高が高いので、軽井沢に次いで寒いんですよ」
と、サラリと言われ「ううう さぶいぃぃぃ」と言いながら終了。
帰りの電車ではプールのあとみたいでだるくて、爆睡。

そして、汗をかきながらダウンコートを着て
新宿駅を動き回っていたのに、岡谷では着ないで、
おまけに最後は宅急便で送る荷物に入れてしまったN中。
翌日、しっかりと風邪をひいて熱出していた・・・よくわからん・・・

【おまけ】

よくわからんN中

筑波大学の関係者に私の代筆でメールを出すことになった。

『〇〇様
私は、筑波大学バレー部卒業の三屋裕子と申します。』

そのメールの文章見て、のけぞる私。
「あのさぁ、私バレー部卒業じゃないし。
 体育専門学群だし、大学院も修了した。」
「えーーーーー( ゜Д゜) あっ!アハハハハ」
「アハハじゃ、ないし!(-“-) 」



三屋裕子


1107_3

11月7日(金)

コンチハ!三屋です。

今年から神戸の某企業の社外監査役になったため、
少なくても毎月1回は神戸に行くことになった。
取締役会の開催時間はそれぞれで、
当日移動が無理な場合は前泊になったりするのだが、
監査役になったのが今年の6月だったので、
それ以前に決まっていたスケジュールに合わせるのが
結構大変だったりするのだ。

朝9時からの会議の場合、当日の新幹線移動は無理。
前泊できればよいが、
既に前日夜の食事会が決まっている場合は
羽田空港発、神戸空港行きの一便、
午前6時20分くらいのフライトとなる。
そうすると7時半くらいに神戸空港に着くのだが、
そのまま会社に行くとなるとそれも早いわけで
喫茶店でモーニングを食べながら時間をつぶす、
という行動をとらなくてはいけない。

何より気をつけなくてはいけないのが、スケジュール帳。
〇月〇日 仕事 ×× 食事会 
〇月△日 取締役会
などと書かれていると問題がないように思えるが、
それが時間を入れてみてビックリ!
移動できないじゃん!となることがあるのだ。

今週も木曜日は私が主宰している勉強会があり、
終わって食事をして解散が23時くらい。
金曜日は、取締役会が神戸であり、
しかしありがたいことに10時開始なので、
6時半発の新幹線で行ける。
つまりいくらかは眠って行くことができるというわけ。

せっかくいただいたいい機会なので、
大変だけど頑張っていい経験としたいと思っている。



三屋裕子


1031
10月31日(金)

コンチハ!三屋です。

夜はコートが必要になってきた今日この頃
すっかり秋も深まってきたなぁ~って感じる。

このような書き出しでいつも始まるけれど、
結構天候が気になるタイプだ。
それは二つの理由から。

一つは、家事の中心、
いや日常の中心と言ってもいいくらいなのが洗濯だ。
それもお日様で乾かした洗濯物の匂いが大好きなのだ。
だから、朝目覚めるとテレビをつけ、天気予報を見る。
そして、その日の行動を思い浮かべながら、
洗濯機を回す時間を考える。
外に干して、出かける前に室内に取り込むためだ。

二つ目は、家庭環境にあったと想定する。
自営だった我が家は、
夜ご飯は必ず家族そろって食べた。
時間もほぼ6時半くらいだった・・・はず。
食べ始めてしばらくすると、
天気予報のコーナーになる。
それを見ながら、必ずと言っていいほど父が
「明日は西高東低だから・・・雪だな」とか
「気圧配置が・・・」
「等圧線が・・・」
などと、テレビに向かってなのか
家族に向かってなのか、話し始める。
家族は、完全スルーで黙々と食べているのだが、
それが毎晩の恒例だった。

それがいつしか、
天気予報を父と同じように見ていることになっていた。
またサイファの中では、
天気予報士になれば?などと言われるようになっている。

そして、今年になって姉に言われた凄いこと
「鼻のかみ方が、父親とそっくりだ! (゜゜)」
そんなもんまでが・・・似るのかぁ?( 一一)
しかし、環境とは怖いものだ・・・



三屋裕子


1024
10月24日(金)

コンチハ!三屋です。

まだ10月なのに、朝晩はすっかり初冬のような気温
しかし、今日のテレビの天気予報では、
暖冬になるかも・・・と。
絶対にウソだ!と思ったけれど、
こんなに夏が短かったことを考えると
もしかしたら、半袖で過ごせる冬になっても
おかしくないか・・・
イヤイヤ、そんなことも絶対にないと思うけれど、
寒いのはやっぱり嫌いだ・・・

先週末は、バレーのコーチングキャラバンで下田に行った。
素晴らしく賢い高校生と素直な小中学生で、
当初各200名前後の参加ということで
とても不安だったが、本当にスムーズに進行し終了した。
それでも、体だけではなく精神的にもかなりの疲労度で、
帰りの電車の中では爆睡。
疲れ切った状態で家に帰った。

しかし、帰り際に渡された下田名物「伊勢海老」
料理されたものは大好きだけど、
果たして料理できるか、ということは別で
恐る恐る発泡スチロールを開けた瞬間
「チャラランnotes チャラランnotes チャラランnotes ランnote
という感じで、ムクムクと立ち上がる 伊勢海老
「出たな!エビゴン」
しかし敵は、長くて太い触角を振り回し抵抗するので、
近づくことができない。
そこで、新聞紙を左手に持ち、エビゴンの目を隠したら・・・・
「おっ!目つぶしビームの勝利!」
動きが止まった隙に、頭と胴体の分離に取り掛かる。
その胴体も太くて、も~ たーいへん!

疲れ切った体での、エビゴンとの戦いは
予想以上に体力を消耗し
あっという間に胸のランプが点滅してしまった。
しかし下田の伊勢海老は、恐ろしく力強く
誰かに料理してもらったものは
さぞかし美味しいだろうなぁ、と思い
これからは戦いを挑むことはしないようにしよう
と決意したのであった。



三屋裕子


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10月17日(金)

コンチハ!三屋です。

すっかり朝晩は秋が深まったと
実感するようになってきました。
今年は夏も秋も短いのかなぁ・・・
ということは、私の苦手な冬が長いということなのか、
それとも
冬も短くて・・・ウン?(-_-)
そうなるとどの季節が長いということになるの?
考えるのはよそう・・・

10月10日、
50年前の東京オリンピックの開会式があった日。
この日に1964東京オリンピック50周年記念祝賀会があった。
私も2020のオリンピック・パラリンピック組織委員会顧問として
出席した。
祝賀会は、1964のオリンピアンの方々も
たくさん参加された盛大な会だった。
そして会場には、当時の映像がたくさん流れ、
それは思わず涙が出てしまいそうな感動的なものだった。
そこには、観戦しているたくさんの人たちの
笑顔や熱狂が映し出されていた。
見ながら、スポーツの持つ、
言葉にしてしまうと平凡なものになりそうだけど、
人の心を揺さぶるような、そんな大きな力を
50年も経つのに感じてしまうことに、
改めて感動した。

あと5年と少し、
また日本が大きく変わるきっかけとして
オリンピック・パラリンピックが開催され、
そこにたくさんの笑顔と熱狂が生まれるといいなぁ、
と会場の片隅で思った時間だった。



三屋裕子


1010_3
10月10日(金)

コンチハ!三屋です。

10月10日
50年前行われた東京オリンピック開会式ということで、
“体育の日”という祝日だったためか、
スポーツ関係のイベントが多い日。
だからか、スポーツ関係者はこの日に結婚する人が多い日。
というわけでもないけれど、
私がサイファという会社を設立の日にした日でもある。

今から20年前、
まだ筑波の大学院にいたとき、
それも修士論文の仕上げで猛烈に忙しかった時、
当時所属していた故山田重雄氏の会社から独立を考えた。
これからのことを考えたうえでの決断だったが、
時間と論文との戦いで
何度も後悔しながら歩き始めたことを、
ついこの間のように思い出す。
10月に法務局に登記し、
その後2か月間残務整理をし、
翌年の1月から高田馬場の小さなマンションの一室で
米澤と二人で始めた時から
あっという間の20年間だった。

いろいろな人達に支えられ、
助けていただいた20年でもある。
私一人では決してここまで来ることはできなかった。
この20年間のたくさんの方々から受けたご恩に対し、
10月10日という日に
改めて心から感謝申し上げ、
これからも末永くお付き合い、
どうぞよろしくお願いいたします。


付録(雑文)

ある日、N中とスケジュールの話になった。
私はスマートフォンにしてから、
スケジュールはその中に入れてある。
だから、スマホに着信があり、スケジュール調整になると、
「ちょっと、ちょっと待って・・・」
という具合になる。
この時も、カバンからスマホを取り出し、
スケジュールアプリを立ち上げた時
N中も携帯電話を取り出し、携帯を開いた。
「うん?」(?_?)
「えっ?」(゜゜)
「そのガラケーって、スケジュール入っているの?」
「あれぇ~?入ってない・・・(爆笑)」

全く考えもなしに行動する、それがN中。



三屋裕子


1003_4
10月3日(金)

コンチハ!三屋です。

先週末に大きな災害が起こった。
御嶽山の噴火によってたくさんの方々が被害にあわれた。
また犠牲になった方々が戦後最悪の人数だという。
心からのご冥福と怪我をされた方々の
一日でも早い回復をお祈り申し上げます。

さて、日曜日に早いもので
東洋の魔女と言われた河西昌枝さんの
一周忌の法要が行われた。
一緒に戦われた東京オリンピックのチームメイトの方々や
バレー関係者が集まり、
賑やかなことが好きだった河西さんのためと、
食事をしながら、河西さんを話題に大いに盛り上がった。

我々の世代から下の世代にとっては、
優しい中に厳しさがあった大先輩だったが、
東洋の魔女の方々にとっては、
厳しい+厳しい+厳しい+ちょっと優しい 
ってな感じだったそうだ。
「あなたたちは幸せだよ!
  私たちは大松監督よりも河西さんの方が怖かった」
鬼の大松と言われた方より怖かったなんて・・・(-_-)
思わず隣にいた江上さんと
「だから私たちは銅メダルだったのか・・・」
と妙な納得をしたのであった。
我々の時は、誰よりも誰よりも
山田監督の方が怖かったから・・・(._.)

最後にご長男の方の挨拶で
「母は本当に厳しく、痛いとか疲れたとかは
  言わせてもらえなかった。
 『痛いと言って、痛みがなくなるのだったら言っていい。
 疲れたと言って、疲れがとれるのだったら言っていい。
 それがないのだったら、
 言われた周りが嫌な思いをするから、言うな。』
 と言われました・・・」
さすが、河西さん。
そういえば、今は福井の家で、
ご飯食べたら眠り、テレビを見ながら寝てしまう
それなのに口だけは達者な母からも、
遠い昔言われた記憶が私にもある・・・(-_-;)
昭和一桁時代の人の考え方なのか、
キャラクターによるものなのか・・・
だから、私は
すっかり甘えられない人間になってしまったじゃないか( `―´)ノ



三屋裕子


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9月26日(金)

コンチハ!三屋です。

すっかり秋の気配・・・(-_-;)
それなのに、ゆかりさんったら
雨が降ってちょっと肌寒かったのは確かだけど
「秋は短かったねぇ~」
「いやいや、まだ秋だから」
「えっ?」
「夏が短かったのは確かだけど、今まだ秋だから!」
交差点で、信号待ちしている時の会話だけど、
ホントにN中に近いものがある。
世の中は、ようやく紅葉が
山の上の方で始まったばかりなんだよ、ゆかりさん。

先週末、また生まれて初めての経験・・・
長く生きていてもいろいろあるもんだ・・・
日本弁護士連合会主催のパネルディスカッションに
パネラーとして参加した。
500人以上の弁護士さんが集まっている中で
発言する緊張感ったらなかった。

以前、知人とその知人の弁護士さんとご飯を食べている時に
「今度、パネルディスカッションに出てくれませんか?
  一般の人の意見が必要なので」
と言われ、
「私で大丈夫ですか?」
と言うと、知人が全く深く考えずに
「いいんじゃない!」
と言うもんだから、確定してしまった。

当日弁護士会館に、
続々と日本全国から弁護士さんが集まってきた。
右も左も弁護士で、そうじゃないのはごく僅か。
そのごく僅かな存在の私が舞台に上がって、
発言しなくてはいけない。
めっちゃ緊張!

テーマは「身近な司法・・・・」
「いやいや、弁護士さんや裁判は身近じゃなくていいですから・・・」
そう素直に答えたら、絶句された・・・
そんなこんなで、ヨレヨレ発言の連続だったが、終わった後
「率直なご意見をいただき・・・・」
逃げるように帰ってきてしまった・・・スミマセン<m(__)m>

しかし、弁護士さんってやっぱり真面目!
パネルディスカッションのためのリハーサルが私を入れても2回、
弁護士さんたちだけはもっとしているらしい。
そして、続々届く書類の数々・・・
おかげで、いい勉強になったことは確かだ。
また本当に皆さん、いい人たちだった。
だから、これからも個人的には
なるべく弁護士さんのお世話にならないように
静かに生きていくつもりだけど、
何かあったらすぐに相談する気になったのも確か。

      
三屋裕子


0919_3
9月19日(金)

コンチハ!三屋です。

秋の味覚を楽しむ季節に
先週末はバボキャラでサンマの季節の気仙沼へ。
すっかり秋を堪能してムチャクチャ満足。
翌朝は健康寺子屋奈良クラスに向かう。
奈良では9月から会場が変更。
予てから探していた
越谷のような鏡張りの教室で、
まだ会員さんも戸惑っている様子。

でも顕著だなと思ったのは
鏡に自分の姿、前と横が映るので
腰はピン
背中もピン
マリ先生ご満悦。
その姿をじっと見ていて
継続は力なりというけれど
本当に感動!

今回は奈良の新しい先生
“井上春菜さん”の紹介も兼ねての訪問。
学生の頃はバスケット。
卒業後は健康運動指導士や介護予防運動指導員、
エアロビクスインストラクターを務めている井上さん。
明るく、元気で、何と言っても若い!

でも、春菜さんの緊張も高まれば
初の関西在住の先生の出現に少し緊張の漂う教室。
「マリ先生やゆかり先生もたまには顔を出して下さいね?」
「これでサヨナラなんて嫌ですよ」
「ヨガはやらないの?」

会員さんに声をかけられて
ガッツポーズのマリさん
「大丈夫!」

健康寺子屋はそれぞれのクラスが
成り立ちも、やり方も違って、
チェーンやフランチャイズのように形の統一は難しい。
でも、マインドは一緒!
何時だって、会員さんの
こころとからだの健やかのために・・・

発表!
12月にはゴールド&プラチナの
年忘れツアーを計画中!
是非 お楽しみに~~~~  
       

三屋裕子


0912_6
9月12日(金)

コンチハ!三屋です。

夏はもう終わったのか・・・
あっという間だったね、そんな感じだ。

今週は生まれて初めてのことがあった。
人生もうかなり生きているけれど、
まだまだ生まれて初めてのこともあるもんだ。
それは、姉と二人っきりで過ごすこと。
へっ?って思うだろうけれど、
生まれてからずっと家族という単位の中では
姉と一緒に過ごしてきたけれど、
二人っきりという時間を過ごす記憶は
過去に一度だけ、
父が入院し母が付き添っていた時に帰省し、
約2時間ほど一緒に過ごした以外はなく、
泊りでというのは初めてだ。

それはこういういきさつから始まった。
私が3日間の時間ができて、
福井に帰ろうと連絡をしたら
母がショートステイの予定が入っていて、
不在だという。
「だったら、東京に出てきたら?」
と誘い、姉も生まれて初めて
一人で東京に出てくるということになった。

いつもは母が一緒で、
それはそれなりに大変なのだけれど、
二人っきりも不思議な感覚だ。
いつも一人で母の面倒を見てもらっているので、
少しでも息抜きをしてもらえたら
という思いで、姉の行きたいところを巡った。
スカイツリーではなく、谷中、
青山や六本木ではなく神楽坂・・・
姉らしいセレクションだ。

姉が帰った後、あるものを見つけた。
それは手紙・・・
楽しかったという内容のものだったが、
どこにあったと思う?
なんと、トイレ・・・(-_-;) 
それも、それまで何度か行っていても
気が付かないほどさり気なく・・・(-_-)
最後の最後まで姉らしい・・・( 一一)



三屋裕子


0905
9月5日(金)

コンチハ!三屋です。

このところ急に涼しくなったからか、風邪をひいたみたい・・・
喉ちょっと痛いし、咳も出る・・・ヤダヤダ
でもデング熱じゃないからね、
代々木公園行っていないし、
熱もないから。

3日、日帰りで神戸にある久光の体育館に行ってきた。
社外監査役になったアシックスの臨時取締役会の予定があり、
そのついでに
久美(中田)が監督をしている久光も神戸にあるので、
表敬訪問することにしていたのだ。

しかし直前に臨時取締役会が取り止めになって、
どうしようかな・・・と思ったけれど
その日は久美の誕生日だったし、
これを逃すとまたいつ行けるか分からなかったから
予定通りに行くことにし、
久美が好きそうなシャンパンを誕生日プレゼントとして買った。

久光の体育館は、
以前一度だけ行ったことがあったけれど、
久美が監督になってからは初めてだ。
体育館に入った瞬間、懐かしい景色があった。
日立の体育館にあったいくつかの練習用の仕掛けと雰囲気。
初めてみる景色なのに懐かしいと思えるのは、
久美の中に脈々と流れている
今はもう無き日立バレー部のDNAがそこにある
と思えるからだろうか。

久しぶりにバレーの練習を見て、遠い昔を思い出し、
あのころに戻りたいとは思わないが
でもあの頃があったからこそ、
今、何があっても頑張って行ける、と改めて思った。

しかし、大変なんだろうね、
久美が会うたび痩せていくような気がする。
でもまっ、人のことはあまり言えないけれど、ね。



三屋裕子


0829_3

8月29日(金)

コンチハ!三屋です。

急に涼しくなって、
今日などはジャケットを羽織ってしまうほど。
一体日本はどうなってしまったんだぁ~!


さて、今年の甲子園は
我が故郷の代表チームの敦賀気比高校がベスト4になり、
何だか自分のことのように嬉しくもあり、
準決勝で負けたことが悔しくもあった。

でも、この期間中は本当に試合のある日が楽しみだった。
仕事の合間に見ることができたら、携帯電話のワンセグで。
見ることが叶わない時は、ニュースの速報で確認し、
勝っていれば、小さくガッツポーズし、
なかなか点数が入らない時は祈り、
それでも二桁得点という
見ている方からすると安心して見ていられた試合展開。

しかし逆にあまりに打った時は、
「もうそれくらいでいいから・・・」と
相手チームを慮ったりと、
本当にいろんな思いをしながら応援していた。 

ちょうど決勝があった夜、
福井県に縁のある人たちが集まる会があったが、
その会でも敦賀気比の話題で持ちきりだった。
やはり、福井のチームが活躍してくれることは
故郷を離れている人間からすると
とても誇りであり、
頼もしく思うことなのだと改めて痛感した。
バトミントンの山口茜さんという高校生でありながら、
世界で勝てる選手もいる。 

彼らに負けないよう、私も福井県人として頑張ろう!と、
忙しくて、大盛りのうどんを5分で食べ終え、
メルマガを15分で書きながら改めて思うのであった。



三屋裕子


0822
8月22日(金)

コンチハ!三屋です。

お久しぶりです。
激しい忙しさに紛れ、
ここ2回ほど書くことができなかった。
スミマセン<m(__)m>
しかし、ようやく通常の忙しさに戻りつつある今日この頃。
あまりに時間に追われ、
遠い昔のように感じる
不思議な7月から8月の中旬にかけての日々。
イタリアに行ったことさえ、去年のように感じる。
それは忙しすぎたためか、
それともボケたのか・・・( 一一) ヤバイ?

今週末からまたバレー普及のためのプロジェクトが再開。
暑い夏の体育館、
そういえば母校の体育館のことを
「ナチュラルエアコン完備!
 夏は大型蒸し器 
 冬は大型冷凍庫のような体育館」
と説明していたなぁ~。

さてこれから(これまでもだけど)年末まで
土日は全てスケジュールが入っている。
人間ドックで去年より体重が2㎏ほど減っていたことが
ちょっと気がかりだけど
胃と大腸の内視鏡では異常なしだったので、
後は血液検査の結果をドキドキしながら待つことにする。
なんだか、この一年の通信簿をもらうようで、
ちょっと落ち着かない。
それなのに、ドック前日に
久美(中田)と由美さん(江上)とご飯を食べた。
8時までに食事は終えたが、
その後も一緒にお酒を飲んだ。
だから検査結果は想像するまでもないと思うけれど、
いいはずがない。
でも久しぶりの仲間との時間は本当に楽しい。
だから、しょうがない・・・(-_-;) とする。

東日本大震災の被災地への活動は
以前より頻度は減ったけれど、まだ続けている。
もう3年半も経つのに、
依然として復興の兆しはまだまだ感じることができない。
そんな中、西日本のほうで大きな災害が起こった。
今年の夏は台風や大雨の被害で、
たくさんの方々が被災された。
心からお見舞い申し上げます。
そして一日でも早く復旧を心から願っています。



三屋裕子


0801
8月1日(金)

コンチハ!三屋です。

暑いっすねぇ~!
ほんのちょっとだけイタリアへ行っている間に、
びっくりするくらい暑くなってた!

肌寒いくらいの飛行機の中に12時間くらいいて、
いきなり30℃越えの中、
成田から自宅に荷物を放り込んで、
そのまま仕事に行き
眠いやらダルいやらでヨレヨレになった。

翌日は仙台に日帰り。
次の日は、朝から会議続きで、
時差なのか疲れなのかよく分かんないけど、
ヨレヨレボロボロ状態。

そして、誕生日を迎えた。
毎年のことだけど、
愉快な(バカな)仲間たちが集まっての飲み会!
ついつい楽しくて、
翌日和歌山に泊まりの仕事があることも忘れ、
遅くまで騒ぐ!
そして、後悔の嵐の中、和歌山へと旅立ったのであった。

しかし、この恐ろしくヨレヨレボロボロ状態は
まだまだ続いているので、
先のことを考えるのを止めている私であった。



三屋裕子


0718
7月18日(金)

コンチハ!三屋です。

7月も後半に突入。
夏休み、お盆休みというポスターをちらっと見ながら
今日も神戸に向かっております。

我ながら、ちょっとしたブームのように?
いわゆるスターのような?(笑)
スケジュールを抱えての毎日。
私の仕事を管理している
ヨネマネのスケジュール表に
脱兎のごとく飛び込んでくるN中の参入。

そんなこともあり
明日からは岩手県でのバボキャラへi参上。
2日間の缶詰の後、静岡、そして海外取材へ。
成田でヨネマネに迎えられ、
そのまま子供のシンポジウム会場へ・・・(;;)

かつて
某企業の社長をちょっとだけやっていた時に
日本全国の支店で
ほぼ同時期間に開催される会合に全て行くことを
まんまと計画したN中の仕打ちを思い出した。
(もっともある事情により、
 それは途中で断念することになったが・・(笑))
まあ、仕事があるってことは有難いと奮い立たせて
体力・気力の限りを尽くすぞ!

そして明日の岩手バボキャラは
毎年参加してくれる小学生が
どうぞ今年も来てくれますように・・・と願いつつ



三屋裕子


0711
7月11日(金)

コンチハ!三屋です。

今日の東京は、
台風一過のものすごく暑い日になった。
昨日までは、仕事に行けるのか、
行っても帰ってくることができるのか
と、今週に入ってから、ずっと心配していたが、
東京は予想したほどではなく一安心だが、
沖縄や九州、
そして台風と全く離れていた場所での被害が大きく
つくづく自然の猛威の恐ろしさを感じずにはいられない。

先週末は、気仙沼でのバボキャラ。
被災地で行われている、バレーの普及活動で、
高校生を中心とした小中学生のバレーボール教室だ。
小学生の募集の最初のころは、
どれくらい集まるのかちょっと心配したが
最終的には230人ほどの応募があり、
バレーコート2面で200人を超える人数だと
本当にぐちゃぐちゃな状態になったが、何とか無事に終了。
我々も半年ぶりだったので疲れたが、
一番疲れていたのが高校生。
だから、翌日の中学生の時は何だかやりやすそうだった。
つまり、高校生くらいだと
小学生に対してどうコミュニケーションとっていいのか
よくわからないようなのだ。
でも、これって社会に出たら、
10歳以上年の離れた人たちとコミュニケーションとる必要が
出てくるので、高校生にとってもいい勉強になるんだけれどね。

そんなこんなで、今年最初のバボキャラがスタートし、
これから3か月あまり
他の仕事も入ってくるので、土日がない状態が続く。
N中も似たような状態みたいで
「ここ2、3か月土日があったから、これから辛いよね」
と、ポツリと言った。
「確かに、土日休むことに慣れたかも・・・」

あとで、この会話、ちょっとおかしいかも・・・
とちょっと思った。

さてこれから泊りで、中伊豆の方に研修合宿に行ってきます!
温泉があるけど、仕事です! 



三屋裕子


0704
7月4日(金)

コンチハ!三屋です。

鬱陶しい日が続いています。
毎年、この鬱陶しい梅雨時は、
洗濯が自由にできないことのストレスで本当に嫌だ。
洗濯物を干した後と乾いた洗濯物をたたんでいるときが
とてもストレス解消になる(変?)ので
これが自由に行えないと、とてもストレスになるのだ。
早く梅雨が明けてくれることを切に願っている。

先週末は、金・土と下田、日・月と銚子に行った。
これ、めっちゃ観光地だったりするので、
温泉に行ったんだ!と思われちゃったりするんだけど
ちゃんと仕事ですからね、仕事!

下田は高校生への講演だったんだけれど、
1時間半キッチリ・ちゃんと・しっかり聞いてくれて
話をしているこっちのほうが、
だんだん緊張してくるというものすごい状態になった。
終わった後、地元の人たちとの懇親会で、
バレー談議に盛り上がる。

翌日は、もう24年も続いている
銚子のヒゲタ醤油さんが主催するバレー教室。
私が言い出して始まったことなんだけど、
24年も続いたのはヒゲタさんと地元の方々の絶大なる力。
これは、本当に凄いと思う。
またその夜、皆さんとの懇親会でバレー談議に盛り上がる。

ということで、新鮮なお魚をたくさんいただくことになり、
また下田ではサザエやアワビ、
銚子ではイワシをお土産でいただき、
このところ、ずっとお魚づいている。
なのに、マリさん、ゆかりさんとご飯食べに行ったところが
最近会社の近くにできたお寿司屋さん。
今日こそは、魚じゃないものを食べるんだ、
と思っていたはずなのにお寿司屋さん。
まっ、おいしいからいいんだけどね・・・
明日から小中学生への指導に気仙沼に行くけど、
やっぱり魚・・・?だろうね。



三屋裕子